12 posts tagged “古の競馬場”
『古の競馬場を訪ねて』ファンの方々、お待たせしました(笑)。先週はフィールドワークの実況をお送りしておりましたが、今週は7月5日(日)に行ってまいりました廃止となった『岡崎競馬場』の現在について、写真や資料、そして様々な出会いについて書いていこうと思います。今回も楽しい取材となりましたよ!!!
さて最初に訪れましたのは愛知県畜産総合センター。ここは旧の愛知県種畜場だった場所で、大正12年(1923年)に設立され、岡崎にて最初に競馬が開催された場所でした(主催は愛知県畜産組合連合会)。
場所は先週もGPS Map CardでUPした通り、東名高速の美合P.A.に近い場所(本当に高速沿いでした)で、少し山間の場所にありました。残念ながら訪れたのは日曜日でしたので、管理棟はお休みということ。お話は聞けなかったんですが、写真の正門や案内図などを確認して当時の種畜場をイメージすることができただけでも収穫かな?と思っています。
関係のない話なんですが、この辺りが素人取材(サラリーマン取材)の限界だよな~ということを改めて感じたりもしています。実は別のお役所に取材に行こうと電話で問い合わせをした時のことなんですが、やはり平日(月~金)の9:00~17:00までに来て下さいと言われ、休みを取るわけにもいかずそのままになっていることを思い出し、この辺りが実は取材の大きな限界を感じる要因の一つだな~と思いました。ただ、その制約の中でどこまでできるのか(調べることができるのか?)というチャレンジ的なものは逆に生まれてくるんですけどね(笑)。
まあ、そんな感じで一発目は不発に終わったんですが、気を取り直して取材のメインである岡崎競馬場の跡地へと向かいました。事前に様々な資料を見たりしていたんですが、当時の岡崎競馬場に関しては『岡崎南風土記』に紹介があったので、先ずはそこからの引用をご紹介します(平成13年9月発行/編者:大石収宏)。
・四季を通じた景観の美しさから『東海一の好馬場』として知られていた
・大戦末期には観覧席前のコースは滑走路に改造され、海軍航空隊の基地となったが完成までには至らなかった。
・このため昭和20年(1945年)には米軍戦闘機(P51)の着陸してくるような低空飛行での攻撃を受けた。
・戦後は戦災を受けた岡崎工業学校の代用教室として投票所の建物が使われ、かなりの期間コンクリートパネルの机と椅子とで、この教室で授業が行われた。
・跡地はクラタ産業の工場と民家が建ち並んで、その面影を残しているところは岡崎乗馬会の馬場以外は、ほとんどなくなっている。
こんな感じでありました。また前回の記事では米国陸軍空中写真を通じて、ある程度の競馬場のイメージも持っていましたので、そんな感じで現地へと向かったわけです。
この写真のイメージから行くと私の中では京都競馬場の雰囲気を思っていました。内馬場に池があるという単純なものだったんですが(笑)。そんな感じで現地に到着、先ずは正面スタンド(厩舎や投票所等のあった場所)に行きました。ここは数年前まではクラタ産業という会社の工場があったそうですが、今は大型ショッピングセンターに変わっていました。かなり大きな規模の店舗だったんですが、裏を返せばそれだけ大きな敷地だったことがうかがえました。
ここから取材を始めたわけですが、実は今回も面白い『出会い』がありました。地図に沿って愛用のファイル、デジカメ、iPhoneのGPSを持ちながらコースをウロウロと歩き回り始めた私だったんですが、やはり『不審な人物』と思われたようです(笑)。取材を重ねていくうちに、あるお宅の前で場所を確認したり写真を撮ったりしていると、門の前で私をじ~っと見ている年配の方がいたんです。私も最初は『見られているな』とは思っていたんですが、ある時ふと『こんにちは。実はここって昔ここに競馬場があったんですよね?』と声をかけたんです。最初は警戒心からぶっきらぼうな応対だったんですが(当たり前ですが)、私が持つ資料や私は名古屋の方から来た、趣味で廃止競馬場を調べている等の素性を話しているうちに、資料に興味を持たれたり、割と?素性がはっきりしてきたので、警戒心も薄れ(笑)地元のお話をしてくださりました。
その方は地元にずっと住まわれている85歳のおじいさん。町内の役もずっとやってこられ地元(岡崎競馬場を含む長池のこと)に大変詳しい方でした。その方にお話を聞くと下記のようなことが、岡崎競馬場の思い出話として記憶に残っておられました(話は伺った順に書いてあります)。
・自分も含め、小学生の頃は岡崎競馬場が遠足の場所として、近隣の小学校では使われていた(開催のない時)
・この近辺には長池以外にも数多くの農業用溜池が存在した(丘陵地をうかがわせる)
・長池は昔はきれいな池だったので、隣の学校のプール代わりにも使用されていた
・向正面はハゲ山になっていたので、無料の競馬観戦ポイントになっていた
・実際は丘(山)の斜面に造られた競馬場だったので正面と向正面にはかなりの高低差があった
・3~4コーナーの外側は切り立った崖になっていた
・今は正面及び向正面は雑木林になっているが、昔は松林だった。ところが松くい虫の発生で松は全滅。今の雑木林になった。また雑木林は植樹ではなく自然林とのこと
・競馬は今の競馬のようなレースよりも、速歩やばんえい競馬のようなレースも多く行われていた(鍛練馬競争の時期か?)
・自分も含め軍隊で騎乗を教わった近隣の人は、調教の手伝いをしていた
・競馬場の跡地にあったクラタ産業は、岡崎市が最初に企業誘致を行った会社だった
競馬場に関しては、こんな生の声を聞くことができました。内馬場の長池に関しては、昔行われた灌漑工事の際に、10tダンプでのべ2,000台の土砂を搬出し最深3mの農業の池となったとのことでした。またその時の逸話も伺うことができました。その逸話というのは、土砂の搬出工事の際に、名字の彫られた何気ない石(石碑)が出土したそうなんです。それでそのおじいさんが岡崎市を通じて調査されたんですが、どうもその石碑は遡ること戦国時代ここは『小豆坂古戦場』と呼ばれ、今川VS織田、桶狭間以後は家康VS一向一揆の主戦場だった場所で(大きな合戦場ではなく今でいうゲリラ戦の戦場だったとのこと)、名もなき武士たちが亡くなった仲間の武士を埋葬した際に作ったものではないか?という結論に達したそうです。工事関係者がその処遇に苦慮していた時に、そのおじいさんが再び長池に埋めてやって欲しいとのことで、今もその石(石碑)は長池の池底に眠っているとのことでした。
こんな貴重な時間を得ながら、私のフィールドワークは進行していくことになりました。お話を聞く前に少しコース跡を歩いていましたので、写真(2次元)で見ていた印象とは、やはり違っていました。3次元的には先のおじいさんのお話にもあったように丘陵地に造られていましたので、正面と向正面にかなりの高低差があり、長池はすり鉢状の底に位置するという感じでした。またコースは
・正面~1コーナー~2コーナー中間点にかけては下り
・中間点~2コーナー~3コーナー入口までは上り
・3コーナー~4コーナーまでは急激な下り
・4コーナー~正面まではほぼ平坦
という印象でした。それではお待たせしました(笑)。私と一緒に岡崎競馬場を歩いてみることにしましょう!! まず最初に現在の航空写真をご覧ください。
そして詳細地図を次にご覧いただきます。なお地図に番号が付けてありますが、これは私の撮影ポイントになります。VOXでの表示上、見難いかもしれませんがご了承ください。
それでは①(スタート付近/直線入り口)よりスタートしていきましょう!!
現存する生活道路は実際の馬場ではなく内馬場に造られた道路だと思われますので、かなりのUP~DOWNがあります。左側が馬場側、右側が池側になります。
左側の住宅地の裏手にショッピングセンターがありますので、かなり馬場から長池に向かって勾配が下がっていました。また右側の雑木林は先ほどのお話では松林以後に生えた自然林とのことです。この写真で見るとかなりの起伏が生活道路にはあることが、お分かり頂けると思います。
奥に見えるのが1コーナーの入り口付近です。ここからは下り坂になっています。
このアングルが競馬場の跡を感じさせる一枚だと思います。長池沿いに道路が中間地点まで整備されています。
馬場のアウトは徐々に中間地点に向かって下っています。奥がほぼ中間地点だと思われます。
中間地点は現在、住宅地に転用されていました(突き当たりは床屋さん)。左側の雑木林は岡崎工業高校になります。
この写真では岡崎競馬場の向正面の長い直線の名残がお分かり頂けることと思います。また写真奥までずっと上りが続いていきます。
撮影場所は内馬場を縦断する生活道路地点です。正面に見えるのが3コーナーの入り口です。ここまで延々と上っていました。両側は住宅地になっていました。
上りの頂点から3コーナーに向かう場所を撮影。右側に塀があるので分かりにくいかもしれませんが、ここからはかなりの急勾配(下り)になっています。
こんな下り坂なんです(笑)。これで正面と向正面の高低差が、何となくではありますが伝わるのではないかと思います。
現在幹線道路(県道)につながる道路になっている左が内側、右が外側の4コーナー奥のポケット付近の名残です。
ポケットからの写真にもチラッと写っていましたが、ポケット~4コーナー(スタート付近)にかけて、岡崎市羽根乗馬場(岡崎乗馬会)がありました。もちろんサラブレッドもいましたよ(笑)。岡崎競馬場の名残をここでも感じることができます。またこの辺りにはペット関連の学校等も多く見られ、それも何か因縁のようなものを感じました(ちょっと飛躍しすぎですが・・・笑)。
乗馬場の看板あたりからはショッピングセンターまで直線が、ほぼ平坦に続いています。ここが岡崎競馬場のレースのハイライト地点?といったところでしょうか?以上が全体のコース像になります。ここからは競馬場の雰囲気が伝わるかな?と思う写真をいくつかご紹介します。たぶん、先程の地図がかなりスクロールしないと見られないと思うので(笑)、再びここに載せておきますね。
今回の撮影ポイントは長池周辺の遊歩道からです。ここは取材に訪れた時は、ウォーキング、ジョギング、釣りなど様々に地元の方々が日曜を楽しんでおられる風景が各所で見られました。正面~向正面は雑木林が張り出してきており、木陰もできて過ごしやすい天然のトンネルのようでもありました(笑)。
長池の遊歩道は1~2コーナーの名残が色濃く残っている個所ですが、こうやってみると改めてよくわかって頂けると思います。また中間地点から正面スタンドを眺めると雑木林の規模、スタンドの位置関係もはっきり分かると思います。
向正面もかなりの雑木林になっていました。また内馬場を縦断する生活道路から1~2コーナー眺めたんですが、やはり1周1,200mの競馬場です。遠く感じました(笑)。最後の写真はスタート付近から3コーナーを眺めたんですが、今の生活道路は馬場よりかなり下がったところにありますので実際とは違うと思いますが、それでもかなり高い位置にあったのかな?ということは想像させてくれます。
以上が今回の岡崎競馬場にてのフィールドワークでありました。実際に歩いてみると(何周かしましたので)かなり疲れたのが正直な感想でした(笑)。当然、丘陵地の斜面っぽい位置に造られていましたので、私の従来の競馬場のイメージ(中京、名古屋、笠松)とも違っていましたし、最初にフィールドワークした豊橋競馬場とも違っていましたので、従来の競馬場のイメージが変わったのが今回のフィールドワークでした。これは資料やネットという『2次元』的なものでは分からないことで、やはり実際に現地を訪れるということは(自分の五感で確かめるということは)、今回も大切なことと再認識もしました。
また『出会い』ということでは地元のおじいさん(笑)。そりゃ警戒しますよね・・・私だって近所にそんな人が歩いていたら???と思いますから。特に私でしたから、おじいさんも不審に思ったんでしょうね~!!! でも調べた資料を見せたり、素性をお話しすることによって(簡単ではありますが)打ち解けて、普段では得られないお話を伺えたことは、今回も素晴らしいことだったなと思っています。これも『古の競馬場を訪ねて』という連載がなければ出会わなかったのですから。これがあるから取材(記事もブログも)も楽しく続けられるんだろうな~なんて今回も感じました。
さて岡崎競馬場の取材に関しては今後も続けていきますが今回で一段落です。次はまた別の競馬場の取材を続けながら引き続き豊橋競馬場、岡崎競馬場の情報も書いていくつもりです。今回も長いスクロールになっていますが(笑)、最後までお読み頂き感謝します!!!
いつもなら『よく寝たよな~』となる私なんですが、昨日は『よく起きてたな~』という一日。昨日の『古の競馬場を訪ねて』の記事は午前4時過ぎから書き始めた…と書いてあったんですが、実は午前2時に起床(笑)…というのも前日の夕方6時からスヤスヤと寝ておりましたので、都合8時間睡眠ではあったんですが、結局昨日は午後10時就寝となり『20時間』も久しぶりに起きておりました(笑)。でも…今朝は5時に起きてしまいますから、いやいや年寄りは早起き癖が治りませんね!!!
さて…そんな『古の競馬場を訪ねて』なんですが、周りからこんなことを(またですか?)言われたんですよね。
『検索すると上位に出てくるぞ』
私は全く知らなかったので、試しにGoogleで『岡崎競馬場』や『豊橋競馬場』と検索してみたんです。すると何と1ページ目に出てきてビックリしてしまいました(笑)。本人はそんな気もなく(もちろん検索する気もなく)書いていたんですが、周りに言われて『結構、みんな関心があるのかな~』と思ったりしていました。もちろんGoogleの検索基準が何なのかは全く知る由もありませんが、まあ悪い気はしないので(笑)、これからも頑張って書こうか!!! という意欲は湧いてきたりしています。
そうは言っても…これも言われるんですが『数字的な資料がないよね~』ということ。これも本人が自覚していなかったことなんですが、豊橋競馬場に関しては数字的な資料を探し出せていなかったので仕方がないんですが、前回の岡崎競馬場に関しては数字的な根拠は多数残っています。例えば…
地方競馬史 第一巻より
用地
・総面積 43,048坪
・馬場 10,300坪
・建造物 1,006坪
建造物概況
・入場券発売所(2棟) 38.0坪
・馬見所(1棟) 133.5坪
・事務所(1棟) 8.5坪
・審判所(1棟) 5.1坪
・優勝馬投票所(1棟) 82.5坪
・景品券交付所(2棟) 61.0坪
・下見所 324.0坪
・厩舎(8棟) 240.0坪
・繫駕車倉庫(1棟) 30.0坪
馬場
・延長 1,200m
・幅員 21m
年次成績(年別/開催日数/出場馬数/有料入場者数/入場券売上高)
・昭和6年~昭和13年
岡崎市戦災復興誌より
岡崎市営公企業収益表(年月/日数/売上/入場者/純益金/備考=開催団体)
・昭和23年~昭和28年(競馬及び競輪)
こんな感じで細かな数字のデータはあるんです(年次成績や収益表には具体的な細かな数字があります)。ただ自分では意識していなかったんですが、これは完璧に私が文系的記事を書いているからなんだろうな~と気が付きました(笑)。数字(数学)が苦手な私にとっては、細かな数字を上げていくのを無意識のうちに避けていたんだろうな~と周りから言われて再認識した次第です。理系の方が書かれたら違ったアプローチになると思うんですよね。
ただ、こういった収集した資料をどこまで記事として載せるのか?というのは難しいところで、細かなところまで書くと深みにハマってしまうのでは?といった危惧(自分ですべて消化して処理できるのか?)も私の中にあるのかもしれません。今回の廃止競馬場(古の競馬場を訪ねて)を巡る記事は、所在をつかんで今はその廃止競馬場跡地がどんなふうになっているんだろう…ということからスタートしましたから、そこがメインなのかな~という風に思っているのと、限られた時間(予算…笑)の中で、どこまで素人の取材ができるのかな~という自分へのチャレンジもあるので、これからも試行錯誤しながら記事は続けていければなと思った今回の周りからの言葉でした。
さて今日は先日、大切な友人からの言葉にあった『自分が正しいと思った道を突き進んで…』という一日になりそうな予感?ただ、あまり難しくは考えずに行こうかな~と思っています!!! (本来はVOXに公開する内容ではないんですが)。遠くから応援よろしく!!!
曲はデヴィッドのこの曲です。邦題は『愛しき反抗』!!!
早朝からの執筆活動?となりましたが(今は朝の4時を過ぎたところです)、昨日は気持よく、心地よく、ビールと過ごし(笑)食事もとらず、風呂にも入らず寝てしまったので、早朝から食事、風呂と済ませ空いた時間にVOXに向かった次第です!!!
今回は『岡崎競馬場編・その2』ということで、今までに調べてきた資料や地図を、経過報告ということでご紹介しようかなと思っています。岡崎競馬場に関しては、比較的?資料が多く残っている競馬場ですので、この後も取材等を続けていくと、新たな資料が出てくる可能性がありますので、ここで一旦まとめ?そんな感じの記事になります。
取材に関しては『その1』でもご紹介しました岡崎市図書館、そして昨日も行ってまいりました愛知県図書館の蔵書がメインになっています。歴史的な資料として毎回登場します『地方競馬史 第一巻』に加え、今回は二冊ご紹介します。
岡崎市戦災復興誌(昭和29年/岡崎市役所/東海新聞社)
岡崎南風土記(平成13年/大石収宏)
この他に新編 岡崎市史にも資料が残っているようですが、これはまた後日ということでご了承ください。それでは先ず、岡崎競馬場の概略についてご紹介します。
大正12年(1923年)愛知県種畜場設立(岡崎市美合町)
・愛知県畜産組合連合会主催にて種畜場用地で競馬が開催される
地図の中心が愛知県種畜場の位置です。地図の左下には岡崎競馬場の跡地も見えます。
大正13年(1924年)岡崎競馬倶楽部が組織
・種畜場用地にて常設馬場
昭和2年(1927年)地方競馬法公布
・岡崎競馬場は廃止~名古屋競馬場(名古屋競馬協会)へ
昭和6年(1931年)豊橋競馬場を岡崎競馬倶楽部が譲渡(5月)
・岡崎競馬株式会社の団体が設立(9月)
・岡崎市羽根町大字奥山地内の岡崎競馬場に移転
・愛知県畜産組合連合会が借受開催
『紡績工場』から少し西に行った楕円形の池の周りに競馬場の跡があります
昭和9年(1934年)岡崎競馬場が愛知県畜産組合連合会の所有になる
写真から岡崎競馬場は右回りだったことがうかがえます。また上右の写真は池の配置から2コーナー付近からの撮影と思われます。
昭和14年(1939年)軍馬資源保護法の公布
・岡崎競馬場が鍛練馬場となり鍛練馬競争を実施
昭和18年(1943年)愛知県馬匹組合連合会に移管される
昭和20年(1945年)終戦
昭和21年(1946年)地方競馬法公布
・岡崎競馬場が再開される
昭和23年(1948年)新競馬法公布
・地方競馬開催都市の認可
・愛知県に移管
昭和28年(1953年)岡崎競馬場は廃止、馬育成場に転用
以上が岡崎競馬場の概略になります。岡崎競馬場に関しては、戦後まで開催されていたこともあり、場所の特定なども比較的容易でした。ただ今回入手した地図上では少し分かりにくかったので、次回はもう少しはっきりした地図を探したいなと考えています。また戦後復興誌は岡崎市役所の発行なんですが、当時の戦災復興には競馬(競馬場)は欠かすことのできない収入源として認められ、この蔵書にもそんな跡が見られました。
挿絵には愛知県種畜場及び岡崎競馬場が明記されています
裏表紙(本来はカラー)の中心より少し下にも競馬場の絵があります
また1962年の岡崎市住宅明細図(新日本市内明細地図社発行)にはこんな記載もありました
そして得意の?米国陸軍空中写真です
最後の米国陸軍空中写真に関して、愛知県図書館にて国土地理院のWEBSITEを教えて頂き、確認することができました(ありがとうございました)。この写真からも4コーナー奥にポケットがあったことから、右回りの競馬場だったことが分かります。
これらの資料を携えて次回は豊橋競馬場に続く第二弾のフィールドワークに出かけてきたいと思っています。面影は残っているのかな~少しでもそんなことが前回同様に感じられたら、発見出来たら嬉しいなと今からワクワクしております。
みなさん、大変お待たせしました(笑)。好評の?連載『古の競馬場を訪ねて』・・・今回は岐阜県に昭和初期~戦後間もなくまで存在していたといわれる競馬場の取材で、岐阜県岐阜市にあります『岐阜県図書館』を6月7日(日)及び6月14日(日)の二回に渡って伺いました。なかなか名古屋から岐阜というのは私にとっては行く機会が少なく、笠松競馬場か取引先に行くぐらいですので、今回の取材を通して様々な岐阜県に会えることが、楽しみであったりしています。
今回の取材も前回の愛知県図書館同様にレファレンスメールを利用させて頂き、図書館内の蔵書を事前に調べてもらい、それを元に色々と調べてきました。先ずは岐阜県の競馬場の歴史に関して、ご紹介します。前回『地方競馬史 第一巻』はご紹介しましたが、今回新たに取材で下記の蔵書が加わりました。
岐阜県競馬の概要(昭和28年8月1日現在/岐阜県農林部競馬課)
岐阜県競馬沿革史(1970年5月1日発行/岐阜県町村競馬組合)
特に前者は手書き(ガリ版印刷)と『昭和』を感じさせる一冊でした。紙質もわら半紙ぽかったですし(笑)。まあ余談はさておき、岐阜県の競馬場の歴史について、この三冊を元に書いていきます。なお、どの項目がどの蔵書からということは省略するのと、旧漢字は変えてありますのでご了承ください。
昭和2年(1927年)農林・内務省令地方競馬規則公布(8月27日)により下記の場所が競馬開催候補地になる
・岐阜市付近
・大垣市付近
・東濃中津町付近(中津町駒場西山)
・西濃高須町付近(高須高女大江川畔)
・飛騨高山
この中より中津競馬倶楽部設立(昭和2~8年)、高須競馬会設立(昭和2~5年)により中津競馬場及び高須競馬場にて競馬が開催される⇒当初は単勝式のみの発売、山間僻地の立地条件のため経営は困難になる
昭和3年(1928年)岐阜競馬倶楽部が組織(岐阜県競馬倶楽部との呼称もあり)
・宮崎競馬場の誘致(実現せず)
・高須競馬場の買収(流血事件等で進展せず)
昭和4年(1929年)岐阜競馬倶楽部が岐阜市美園町において岐阜競馬株式会社に改組(正確な時期は不明)
昭和5年(1930年)笠松競馬倶楽部が組織
昭和6年(1931年)各務原競馬場開設(高須競馬場の買収による/稲葉郡鵜沼村/8月31日許可/10月24日・第1回開催)
・主催:岐阜県畜産組合連合会
・実権:岐阜競馬株式会社
昭和8年(1933年)地方競馬規則の改正
昭和9年(1934年)中津競馬場が羽島郡八剣村地内に移転許可(9月10日)~羽島郡笠松町外奈良地内に変更許可
昭和10年(1935年)笠松競馬場工事完了(10月10日)~第1回開催(11月9日)
・主催:岐阜県畜産組合連合会
・実権:笠松競馬倶楽部
同年頃、両濃地方への競馬場誘致運動の機運が高まり、候補地として安八郡三城村、鶴里村、南平野村等が挙がる
養老競馬倶楽部が組織
昭和11年(1936年)養老公園下に決定
昭和12年(1937年)養老競馬場の施行許可
昭和13年(1938年)養老競馬場開設(養老郡養老村字白石/12月18日・第1回開催)
昭和14年(1939年)軍馬資源保護法公布
・各務原競馬場の廃止
・養老競馬場の廃止
昭和18年(1943年)この年まで笠松競馬場にて鍛練馬競争を実施
昭和20年(1945年)終戦
昭和21年(1946年)地方競馬法公布(議員立法/11月20日)
闇競馬の時代
・笠松競馬場にて岐阜県馬匹組合連合会主催の競馬開催
・本巣郡糸貫川原
・山県郡千疋川原
・武儀郡稲口川原
・吉城郡古川町
・揖斐郡大野町
昭和22年(1947年)笠松競馬場にて地方競馬法による第1回開催
昭和23年(1948年)北方競馬組合が組織、本巣郡真桑村に北方競馬場を設置
・北方競馬場にて地方競馬法による第1回開催(3月)
・新競馬法公布(公営競馬として笠松競馬及び北方競馬が開催)
昭和29年(1954年)北方競馬場廃止
以上が昭和初期から戦後にかけての岐阜県の競馬場の歴史です。笠松競馬場につきましては、この他に多くの資料が存在していましたが、今回は廃止になった競馬場を中心に書いていますので割愛させて頂きました。
さて、岐阜県の競馬場の歴史については図書館のレファレンスメールで蔵書を調べて頂いており、歴史的な資料は多く残っていたんですが、今回は実際の場所(をはっきり明示している地図等)という点では資料がほとんどない状態でした。これはレファレンスメールでも分かっていたことだったんですが、『どうしても調べたいよな~?』と考えていた時、ふとお隣のコーナーが目に入ってきたんです。それは・・・
世界分布図センター
ここは15万点を超える地図・分布図・地図関係の図書が蔵書としてあり、かなり有名なコーナーだったんです。それでレファレンスメールにはないと書いてはあったんですが、ダメもとで尋ねてみることにしました。最初は昭和50年頃までの住宅地図や航空写真などを確認していたんですが、そこにはやはり明記されていずに場所は確認できないかな・・・と諦めかけてもいたんですが、図書館の方が色々と残っている資料を調べて下さり、国土地理院関係の二万五千分の一、五万分の一の地図で明治から戦後にかけて測量~発行されたものを探し出して頂き、ついに!!! 様々な競馬場を発見することができました。やはり図書館の方は偉大です(笑)。蔵書の中から要求に合うものをすべて探し出してくれますから。それも今までに見たことのない資料ばかりですから、ネットの時代とはいえ、まだまだ図書館には(図書館の方には)敵わないかもしれません!!!
ただ最後まで、この地図の中で分からなかったのが北方競馬場でした。どうみんなで目を凝らしてもその存在が見えてこなかったんです。場所は『岐阜県競馬の概要』に残っていた『北方競馬場配置図』の本巣高校敷地と漠然とした住所で特定できていたんですが、それでも場所がないんですよね~。
北方競馬場配置図(岐阜県競馬の概要/昭和28年より)
この配置図を元にした北方競馬場があったと思われる場所(原寸大)
本巣高校から特定してみると・・・(中学校の表記がそれ、道路も整合性が取れています)
その時!! 図書館員の方が『あること』に気付かれたんです!! それは・・・
『空中写真に写っているかも?』
『空中写真???』
この空中写真というのは戦後間もなく撮影された『米国陸軍空中写真』と言われるもので、米軍が日本の国土調査として空中写真(航空写真)を撮影していたんです。その中から岐阜県に関連のあるものを、この世界分布図センターでは収集に努めているとのことだったんです。これは私も全く知らない話でした。それで該当する場所を探して頂き写真を覗いてみると・・・
北方競馬場(米国陸軍空中写真/1948年3月27日撮影)
見事!!! その存在が浮き彫りになりました!!! これには一同、大感動でした(笑)。最後まで粘って発見した女性の図書館員の方は『よくやった!!』と上司に頭を撫でられていたぐらいですから(笑)。この写真を機に他の競馬場の写真も現存しているものを、調べて、見せて頂き、改めてお礼を述べて帰ってきたのが今回でした。この米国陸軍空中写真、門外不出?とは言いませんが、取扱いは手袋着用という貴重なもの、今回はたぶん?皆さんもなかなかお目にかかれることは少ない写真と思いますので、ぜひ同時に探して頂きました地図と併せてご覧ください!!!
高須競馬場か?(場所を結局は特定できず。市街地左上の川沿いの楕円が跡地?)
高須町市街地左上をご覧ください。高須競馬場の跡地でしょうか?
地図のデータは大正9年測図、昭和7年修正測図、昭和22年資料修正とあります。ここは米国陸軍空中写真では確認できませんでした。
中津競馬場(明治44年測図、昭和8年要部修正測図、昭和24年応急修正)
最下部の右隅に競馬場の記述が残っていました
残念ながら中津競馬場の米国陸軍空中写真は残っていませんでした。
各務原競馬場(大正9年測図、昭和7年修正測図)
非常にはっきりと所在地が残っていました。さらに拡大してみます。
そして各務原競馬場は米国陸軍空中写真も残っておりました。それでは、ご覧ください!!!
撮影時期が1948年3月27日ですので、廃止~戦争~終戦と大きな節目の10年だったと思いますので、輪郭も様々に転用されておぼろげになっているのでは?と感じさせるシルエットではありますが、それでもはっきりと一周1マイルの大きな競馬場の跡は見てとれると思います。最後は養老競馬場になります。
養老競馬場(明治24年測図及び縮図、昭和7年第二回修正測図及び縮図、昭和20年部分修正測図、昭和24年応急修正)
養老公園入口にその存在を確認できました
米国陸軍空中写真(1947年12月8日)にも、はっきりと存在が確認できました
以上が今回の岐阜県図書館にて行ったきた取材になります。今回も様々な貴重な資料、特に米国陸軍空中写真なる存在を知ることができたのは、新しい発見(これは廃止になった競馬場ということではなく)になりました。これもこの『古の競馬場を訪ねて』という連載を始めなければ分からなかったこと!!! また今回も図書館員さんたちの知識、熱意をヒシヒシと感じることができた(交流できた)ことも大きな喜びとなりました。これで一層、フィールドワークが楽しみになってきました。これからこの貴重な資料とともに現地に出かけて、またみなさんに『古の競馬場』の現在を見て頂きたいなと思っています。なかなか思うような取材も、それを生かした記事も(ここが一番問題ですが・・・笑)出来ないんですが、私の新しい発見が皆さんと共有できれば、それが一番嬉しいことだと思っています!!! 続きは気長に?お待ちくださいね!!!
午前中までは時折、激しい雨が降っていた愛知県内ではありましたが昼前には雨も止み、何とか今回のシリーズ『古の競馬場を訪ねて』の初めてのフィールドワークを行うことができました。今回は愛知県の東、渥美半島の根元にあります愛知県豊橋市にあった『豊橋競馬場』を訪ねてきました。前回の取材で愛知県図書館にて様々な貴重な蔵書を見せて頂き、期待に胸を膨らませながらの豊橋行きになったんですが、今回は出鼻で豊橋図書館休館!! という憂き目にあい、多難なスタートを予感?させるものになりました。ただ、今回も多くの方々に出会ったりもして、いつものように人と出会える楽しい旅となりました。まずは簡単に『豊橋競馬場』の概略をご紹介します。
大正10年(1921年) 愛知県主催の愛知県畜産共進会が豊橋にて開催。その協賛事業として北設楽郡畜産組合主催の競馬が歩兵第18連隊練兵場にて行われる。
大正14年(1925年) 豊橋競馬倶楽部が結成される
この頃に豊橋競馬場が新設、愛知県畜産組合連合会主催にて競馬が行われる。
昭和6年(1931年)豊橋競馬場は岡崎競馬倶楽部が譲り受け移転する。
以上が『地方競馬史 第一巻』の愛知県に記述されていた歴史として残っています。実際に愛知県図書館にて残っている文献等を調べてみたんですが、愛知県図書館には文献は残っていませんでした。ただ、やはり『競馬=賭博』と考えられいた時代かもしれませんので、公式な郷土史等には残っていないのは仕方がないことかもしれません。また今回、お邪魔しようと思っていた豊橋中央図書館にも同じように文献としては残っていないようでした(レファレンスメールにて)。そんな中、地図としては昭和初期のモノが残っておりましたので、ここでご紹介したいと思います。出典等は旧漢字表記になっていたり、写真が下手でボケていたりしますが(笑)、修正しておりますのでご了承ください。
昭和元年(1926年) 『豊橋商工案内(豊橋商業会議所)』の豊橋市街図より
昭和2年(1927年) 『最新豊橋市街地図(山田信二)』より
昭和3年(1928年) 『豊橋商工案内(豊橋商工会議所)』の豊橋商業会議所地区内図より
昭和3年(1928年) 『豊橋市市制施行二十年誌(豊橋市)』の豊橋市街地図より
昭和5年(1930年) 『豊橋市とその附近(豊橋商工協会)』から吉田初三郎作の珍しい鳥瞰図より
以上が愛知県図書館で見せて頂きました貴重な豊橋競馬場が残る資料(地図)でありました。この地図を一週間眺めながら(笑)、先ずは最初に競馬が行われたと言われる『歩兵第18連隊練兵場』を探しに、豊橋市内の奥深くに?入り込んでいきました。
場所は豊橋市役所~吉田城跡~豊橋球場一帯にあったと言われており、先ずは豊橋球場へと向かい石碑等がないかなと探してみることにしたんですが、やはり広い敷地内・・・私も助っ人の子供たちもどうやって探そうか???と考えていましたら、豊橋球場の管理事務所がありましたので、そこで話を聞いてみました。すると・・・やはり郷に入れば郷に従え(これが当てはまるのか?)とばかり、年配の職員の方からこの建立碑を教えて頂きました。また年配の方でしたので(失礼!!)、今回の豊橋競馬場の話を聞いてみると、競馬場の存在を知っておられ隣に隣接する豊橋市美術博物館を紹介して頂きました。
豊橋公園は吉田城跡、美術博物館、三の丸会館、軟硬式テニス場、陸上競技場、野球場、プール等、戦災復興事業のシンボルとして整備された複合施設の走りのような場所になっています。実は私も豊橋とは何かと縁の深い人なんですが、今回初めて行った場所で、なかなかにいい場所でありました。
さて豊橋美術博物館では、残念ながら紹介された学芸員の方はお休み(日曜ですからね)でお会いすることはできなかったんですが、他の学芸員の方が気持よく応対して下さり、私のつまらない(趣味性の高い)この取材にも興味を持って頂けて、後日また連絡させて頂くことも快く応じて下さりました(感謝します)。学芸員の方は『今や専門家より一般の方の調査能力(行動力)の方が上ですから!!』なんて上手なお世辞に乗せられて、この競馬場取材を挫折するのはいかんぞ!!! と気持ちも新たにした私でもありました。
その学芸員の方に競馬場があった場所を大体、教えて頂きいよいよ競馬場に向かうのでありました。場所は下記にヤフー地図から地図と航空図を載せておきました。どうです?上の地図と見比べて共通点を見いだせますか?
まずは市電の路線図が載っていましたので、競輪場前の停車場にあった豊橋鉄道の営業所を訪ねてみました。さすがにこの当時を知ることはおろか、ここに競馬場があったということも、みなさん知りませんでした(当たり前ですよね、昭和の初めなんですから・・・笑)。ただ、やはり飛び込みで聞いてみるものです。昔と今とでは市電の走っている場所が変わっており、手に入れた地図は既に廃止されていた路線とのことでした。昔、昔、地図にもありますがここには『遊郭』があったため、そこへ市電が走っていたとのこと、街を歩いてみるとそんな名残も所々に残っている場所でした(今回は書きませんが)。
それでまあ歩きながら雰囲気をつかめれば!! と思い競輪場前の交差点から南下してたどってみました。今回は iPhone 3G のGPSが活躍してくれました。地図とGPSとのにらめっこで、自分の現在位置がすぐに分かりますから。これも今回からの新しい武器になりました!!
そんな感じで歩き始めてから・・・不意に気がついたのがこれから見て頂く写真なんです。私が感じたこと、みなさんはいかに?
写真は順番に競輪場前交差点を南下、Y字交差点を左に公園の方へ、コーナーを回って直線に向かう・・・どうです?競馬場の名残に見えてきませんか?実は最初に歩いた時にはキョロキョロ周りばかり見ていたので気がつかなかったんですが、二回目に歩いた時にふと思ったんです。もちろん、次の取材で地域の都市計画の変遷などを図書館や美術博物館で確認したり、伺ったりもするつもりなんですが、今回の取材で推理する楽しさ?も発見してきました(思い込みだったりもしますが・・・笑)。これが競馬場の名残だったりしたら・・・こんなに嬉しい発見はありませんし、フィールドワークの醍醐味(やはり地図だけでは分かりませんから)を味わえたのかな~と行ってよかったな~と子供たちと喜んで帰宅の途に着いた次第です。
今回の取材では豊橋球場の職員の方、豊橋市美術博物館の学芸員の方、豊橋鉄道の方々、地域のお寺の方、果ては交番のお巡りさんまで(笑)、お話を伺ったんですがみなさん豊橋に競馬場があったということを知っていた方は少なく(というか球場の職員の方だけでした)、とても興味を持って嫌な顔をされることなく、丁寧に質問に答えて下さりました。息子たちはやはり恥ずかしくないの?と聞いたりもするんですが、悪いことをしているんでもなく、キチンと事情を話して質問すれば、誰しも嫌なものではないよ・・・と教えながら『社会勉強(になったのかな?)』も出来たのかな~(体現できたのかな~)と思う今回の取材になりました。まだまだ新しい資料や事実が出てくるかもしれません。またこれからも随時、取材は続けていきますので、新しく分かったり書かなきゃ!! と思った時は、またこの『豊橋競馬場』に関しては、書いていきたいと思っています。まだまだ続きますが、一週間の中で一番楽しい時間の過ごし方かもしれません!!!
追伸:競馬がらみですが・・・ノリピー、ダービー制覇おめでとう!! そして豊君も雪辱したかな? 私が買わない時に予想した二人が1~2着!!! 嬉しいような悲しいような・・・!!
昨日もTwitterやMoblogからチラッと書いておりました今回の連載『古の競馬場を訪ねて』の取材にて、愛知県は名古屋市にあります『愛知県図書館』に行ってまいりました。先日の記事でもご紹介していました『レファレンスメール』で、所有されている蔵書等はチェックできていましたので、そのメールを持参して今回の取材は始まりました。
早速、そのメールを提示して相談員窓口で蔵書について尋ね始めたんですが、意外に?その相談員の方がこの件に関して詳しいので『図書館の方って誰もが、自分のところの蔵書に詳しいんだな~』と感心していたんです。ところが話しているうちにどうやら・・・と思い、
『このメールって・・・?』
『はい、私がお答えしました』
いやいやビックリしました(笑)。何人かの窓口になっていて、多くの方が相談員としておられた中で、ピンポイントでメールを送ってくれた方(調べて頂いた方)と出会うなんて!! さすが日頃の行いの良い私の成せる業でありました!!! それが分かってお互い恥ずかしいやら知り合いやらの感覚で、チョット?打ち解けて蔵書について調べたり、説明を受けておりました。何か顔を知らない文通相手に会ったような?オフ会でブログの書き手に初めて会ったような(笑)、そんな気分を久しぶりに味わった感じであります(余談ですね・・・!!!)。
今回も全てが書庫の中の文献ということで、傷んでいたもの、コピーを取るのも不可能なものと貴重な資料を見せて頂きました。今はデジカメがありますのでそのあたりは写真に撮って持ち帰ってきたんですが、やはり公共の所有物ということで、撮影するに当たっても『どこの何ページを撮影』という申請書を書いてきました。コピーに関してはお馴染だと思うんですが、今回は撮影に関しても貴重書閲覧(普段とは別の机にて)場所で、少々緊張しながらの取材にもなりました。まあその題材が競馬場ですから、相談員の方と話をするのも恥ずかしかったんですが・・・笑。
さてそんな今回の取材、Wikiや様々なサイトで多くの方が書かれている廃止競馬場のお話。そのベースとしてどのサイトでも参考文献として挙げられているバイブル的文献『地方競馬史 第一巻』(地方競馬全国協会 1972年)に私も初めて会うことができました。これも書庫に眠っている文献でしたが、貸し出しも可能ということ。今回は図書館にてある程度書き出しておいて、必要な個所だけコピーして持ち帰ってきました。さすがにバイブル的文献ということで、今回の連載のベースになる様々な内容(個別の競馬場についても)があり、いつも書きますがこれを私がどう料理するのか???が一番のカギになってくるな~と、またしても不安な気分になってくる私でありました(笑)。
そんな今日はこの連載の概論として『愛知県の競馬の歴史』をまとめてUPしておこうかな~と思います。これから各競馬場の話になっていくんですが、そのベースとしての流れをここでまとめておきます。出典はもちろん『地方競馬史 第一巻』 の愛知県からです。
愛知県の競馬の発祥
奉納の風習による飾馬、駆馬の奉納
祭典競馬の開催(代表的な開催)
・宝飯郡豊川町豊川稲荷社
・海部郡津島町国幣小社津島神社
競馬規程による開催の歴史
(競馬規程:明治41年/1908年及び改正競馬規程:明治43年/1910年)
大正10年(1921年)豊橋市にて北設楽郡畜産組合が主催(歩兵第18連隊練兵場にて)
大正11年(1922年)一宮市にて北設楽郡畜産組合が主催(場所の明記はありません)
大正12年(1923年)岡崎市にて愛知県畜産組合連合会が主催(愛知県種畜場にて)
大正13年(1924年)岡崎競馬倶楽部組織(愛知県種畜場を借入)及び豊川競馬倶楽部組織(豊川町内に競馬場を新設)
大正14年(1925年)一宮競馬倶楽部組織(競馬場を新設)及び豊橋競馬倶楽部組織(競馬場を新設)
昭和2年(1927年)地方競馬規則の制定
・名古屋競馬倶楽部組織
・名古屋競馬協会組織(名古屋+岡崎+豊川の各競馬倶楽部)
・岡崎競馬場の廃止
・豊川競馬場の廃止
・名古屋競馬場の新設(西春日井郡川中村)
昭和5年(1930年)一宮競馬場の自然廃止
昭和6年(1931年)
・豊橋競馬場が岡崎市羽根町に移転(岡崎競馬倶楽部が譲受、愛知県畜産組合連合会が借受開催)
・名古屋競馬場が名古屋市南区稲永新田に移転(愛知県畜産組合連合会が開催=名古屋競馬協会との関係を断つ)
昭和11年(1936年)名古屋競馬場が丹羽郡岩倉町に移転
昭和14年(1939年)軍馬資源保護法の制定
・軍用馬保護鍛練中央会に移り地方競馬規則の廃止
・名古屋競馬場の廃止
・岡崎競馬場が鍛練馬場となる(昭和18年まで)
昭和20年(1945年)終戦
・軍馬資源保護法の廃止
昭和21年(1946年)地方競馬法の制定
・岡崎競馬場が再開
昭和23年(1948年)(新)競馬法の制定
・地方公共団体による開催(愛知県、名古屋市、一宮市、岡崎市、豊橋市)
昭和24年(1949年)名古屋競馬場の新設(名古屋市港区泰明町)
昭和28年(1953年)
・岡崎競馬場の廃止
・中京競馬場の新設
ここまでが現在における愛知県の競馬場の変遷になります。今回の取材でも新たに分かったこととして、豊川及び一宮にあった競馬場の存在が挙げられます。特に一宮市は他の競馬場(例えば豊川なら豊川稲荷、豊橋なら軍の施設、岡崎は種畜場)と違って、設立(開催)された根拠が見えにくくこの辺りも新たな宿題になったのかな~と思っています。調べれば調べるほど新たな発見や宿題が見えてくるこの連載。意外に短期間(短時間)で終わるのかな~と思っていましたが、いえいえ時間がかかりそうです(笑)。でもこの宿題、期限はありませんのでノンビリと趣味の域を超えずに?これからも書いていきたいと思っております。何事も焦ってはいけませんから(昔の私???)。
それでは今日のレポート提出はこれで終了いたします!!!
さてさて…今週末から本格的な競馬シーズン?ということで、オークス~日本ダービー~安田記念のGI三連発!! そして魔の中京開催と私を誘惑する(憂鬱にする)毎日が続きそうであります(笑)。JRAからもお誘いのメールをたくさん頂き、嫌でも巻き込まれて行きそうで、嬉しい?悲鳴を上げていたりしております!!!
それとは別に先日から始めました『古の競馬場を訪ねて』のレポートなんですが、毎日コツコツと朝晩の楽しみになっております。今回は取材(笑)や調べものが多いので、もちろんネットを活用して…という感じにはなっているんですが、それでもネットの検索では限界があるのも感じていたりします。それで地元の図書館を通じて探したりもしているんですが、これが意外に???いいものでありました。
前回の岡崎市図書館で『レファレンスコーナー』なるものをご紹介したんですが、その他に図書館に依頼して資料の有無等を探してもらう『レファレンスメール』というシステムも今回の取材で初めて知りました。
これはある題材に関して図書館側に問い合わせを行うと、図書館の担当の方が蔵書等を調べて下さり、細かく資料(出典、蔵書の種類、図書館での配置等)をメールで知らせてくれるというものなんです。これを依頼することによって、事前の下準備が可能ですし、いざ図書館に行った時に探したり、迷ったりする時間も省けますので、すごく嬉しい(特に休みや時間が限られている人にとっては)システムだと思います。今回は愛知県図書館及び豊橋市図書館にこのシステムがありましたので、利用させて頂きました。これで両図書館に行った時にはスムーズな取材が可能になりました。後は取材する本人の料理方法が問題になってきます…(笑)。
そんなことを思いながらの『ネット検索』なんですが、よく考えると自分の書いたことが検索されるという当たり前のことに気が付いたりもしました。例えば今回の岡崎競馬場や豊橋競馬場に関して、これから記事を書いた後に、この用語で検索をかけられれば私のVOXも出てくるんだよな~と考えると、何か恐ろしいというか恥ずかしいというか…でも、これって今までも同じことが行われていたんだよな~と思うと、今まで大丈夫だったのかな~と不安に感じています(もちろん今頃、遅いんですが…笑)。ただアカデミックを極めていくと、ドンドンと深いところにハマっていく気もしますし、私なりの表現で書ければいいかな~と妙なプレッシャーを自分で払拭しながら(笑)、今朝も早起きしてメモ書きを重ねていた次第です!!!
そんな今朝の選曲はこれ!!! チョット朝から大人しめの選曲ですが、もちろん『馬』ということで、お許し下さい!!!
それでは今日も一日、頑張っていきましょう!!!