『お子様』を拒絶したYMO・・・教授の自我
5月18日に第一回の記事を書いてから半年・・・・。忘れかけていたエピソードを今日は思い出して、続きを書こうと思っています。当時の『空気』を出来るだけ伝えられたらな~と意気込みだけは?持っておりますが、さて・・・・(笑)。
前回ではスネークマンショウを取り上げて、当時絶頂期にあったYMOの『違和感のある姿』をご紹介したんですが、やはりこの頃のYMOにファンが期待する姿というのは『TECHNOPOLIS』であり『RYDEEN』であったりしていました。海外ツアーからの凱旋、『PUBLIC PRESSURE』でのチャート制覇と、当時の音楽シーン(邦楽)においては重要なポップ・アイコンの一つだったと言っても過言ではなかったと思います。それは結成当初のコンセプトである『全米トップ』というにはほど遠かったのかもしれませんが、確実に日本ではその目的は達せられたと思います。
ただ、その目的を達成した時のたたずまいまで、彼らは想像していなかったのでしょう。自分たちの存在が(やりたいことが)別の『流れ』とともに『動かされている』というように感じ始めたのではないでしょうか?
そんな折に、私たちにとって(私にとって・・・・笑)重要なソロアルバムがリリースされていきました。それが今回、ご紹介する教授のセカンドソロ『B-2UNIT』とユキヒロのセカンドソロ『音楽殺人』でありました。両者とも絶頂期のYMOを受け継ぐ『良質のテクノ・ポップ』であろうと、想像したのは多分?私だけではなかっただろうと思います。特に教授に対して思い入れの強かった私などは、この『B-2UNIT』を過剰な期待で迎えておりました。
ところが・・・・
ターンテーブルに針を落として出てきた音とは・・・・、今日みなさんにご紹介している『differencia』だったんです。みなさんも『TECHNOPOLIS』や『RYDEEN』で音楽観を(人生観を)変えられた中学生の気持ちになって聴いて見て下さい(笑)。
このアルバム、当時としては最新のダブを取り上げ(テクノ系の最先端だったと思います。ロック系ではクラッシュなども取り上げていました)、その前衛的な内容から今聴くと(大人になると)面白いアルバムとなったんですが、当時の『お子様』な中学生は『裏切られた~』という思いが一番素直な気持ちだったと思います(笑)。もちろん今になって考えれば、YMOの当時おかれた状況や教授の非ミーハー思考(アカデミックな手法でポップを片手間で作っている)的なアプローチから、こういった教授の自我(当時のシーンの期待とはかけ離れた)の強いアルバムがリリースされたことは納得できますし(売れていたから好き放題作れたとも思えますが)、教授も語っていたんですがYMO人気に便乗して、この内容としては破格の売り上げをしたというのも、当時の教授のソロにYMOファンが何を求めていたかも、分かってくると思います。
まあ教授の当時の(若かりし頃の)志向というのは、学園紛争やバリケード封鎖などに見られるように、反体制(アンチ)志向が強かったと思われます。このアルバムのタイトル『B-2UNIT』やシングル『WAR HEAD』、『FRONT LINE』からも、その片鱗が垣間見えると思いまし。それがYMOによって(YMOに参加したことによって)彼が忌み嫌っている『体制側』へと移って行ったことへの反動が、このような創作意欲を掻き立てたのではないかなと私は思うんです。自分の立ち位置への違和感・・・・、テクノポップが自分ではなく、アカデミックなグローバル思考こそが自分なんだよ!! YMOは片手間でやって売れちゃったけど、本業はこちらです、こんな感じかな? それが教授の『内包するナイフ』が自分にも、ファンにも向けられていった。それがこのソロアルバムを、このような形でリリースした原動力ではなかったんだろうかと想像しています。
先ほども書きましたように、当時は『裏切られた~』なんて思っていた中学生は、すぐにユキヒロの『音楽殺人』に移っていたことは言うまでもありません(笑)。両者を比較すれば『音楽殺人』こそが、ファンが期待していた『YMOメンバーのソロアルバム』というのを、期待通りに見せて(聴かせて)くれましたから(笑)。それでもYMOは、ユキヒロは変わっていくんです。彼ら三人と大衆とのギャップ、時代に動かされることへの違和感・・・・それが端的に表れてきたのは、実はそんな『音楽殺人』をリリースしたユキヒロでありました。
このシリーズの最終回は、そんなユキヒロについて書こうと思っております。